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インドネシア在住中年日本人主夫のつぶやき

【承前】 モスクのスピーカー放送と言えば、

今年のラマダン(断食月)はサフール(夜明け前にとる断食前の食事)の時間を告げる放送がなかった
(「放送」と言っても、「サフ〜〜ル! サフ〜〜〜ル! さあ、起きろ〜!」と叫んでる/唱えてるだけのものだが…)
…ので、「?」となり、かみさんにそのことを話すと、「うるさい、って理由で禁止になったらしい」との説明を得る。

個人的には、風物詩のひとつがなくなったようなさみしさは多少感じたものの、まあ、各自でスマフォのアプリとかで目覚ましかければいい話だよなあ、となった
(「やっぱり自分たちにとってもうるさいのかよ」とつっこみたくもなった)
…が、そんなことを言ったら、そもそも件の「公共」放送の意味とは?
「公共性」とは?
公と私の区分とは?

スマートフォンや、それにともなうSNSなどの普及が公私の区分をより個人的なものにしているけど、そのことが、国家と宗教と公とを重ね合わせようとするインドネシアのシステムにどう影響していくのか、
数年後が「楽しみ」である。