【承前】 モスクのスピーカー放送と言えば、
今年のラマダン(断食月)はサフール(夜明け前にとる断食前の食事)の時間を告げる放送がなかった
(「放送」と言っても、「サフ〜〜ル! サフ〜〜〜ル! さあ、起きろ〜!」と叫んでる/唱えてるだけのものだが…)
…ので、「?」となり、かみさんにそのことを話すと、「うるさい、って理由で禁止になったらしい」との説明を得る。
個人的には、風物詩のひとつがなくなったようなさみしさは多少感じたものの、まあ、各自でスマフォのアプリとかで目覚ましかければいい話だよなあ、となった
(「やっぱり自分たちにとってもうるさいのかよ」とつっこみたくもなった)
…が、そんなことを言ったら、そもそも件の「公共」放送の意味とは?
「公共性」とは?
公と私の区分とは?
スマートフォンや、それにともなうSNSなどの普及が公私の区分をより個人的なものにしているけど、そのことが、国家と宗教と公とを重ね合わせようとするインドネシアのシステムにどう影響していくのか、
数年後が「楽しみ」である。
インドネシアのニュース番組の『警察24時』
みたいなコーナーを見ていたら、
バイクのマフラーの違法改造で免許を切られている若者が、警察官に抗議している映像が映される。
若者の「このマフラーでだれかに迷惑をかけましたか?」「あなたのしてることは客観的じゃない」と警官を非難する言葉に「そのマフラーは正規のものじゃないから違反だし、うるさいだろう?」と諭す警官
それでも引かない若者、
「うるさいって言うんだったら、モスクのアザン(お祈りの時間がきたことを知らせるスピーカー放送)のほうがうるさいだろ!」
と言い放ってしまう
…と、それまでの声色を変え、「おまえはムスリムか?」と詰問しはじめる警官
もし件の若者が「違う」と答えていたら…と想像すると、今でもぞっとするシーンだった。
家族でBajai
(バジャイ=三輪バイクタクシー)に乗るのは初めて
意外と家族4人でも快適に乗れて、
(娘はかみさんのひざの上だけど)
子どもたちも大喜びでした。
かみさんが市場に行くというので、ひまつぶしについていってみると…
イベント会場用施設といった感じの3階建ての建物に到着する。
「ここが市場?」となりながら中に入ってみると、
なるほど、いかにも市場といった雑然とした空間が、右へ左へ、奥へ奥へとのびている。
しかもなぜか、あっちでもこっちでも同業者同士が同じようなものを売っているし、極端なときには八百屋なら八百屋で、同業者同士が3軒連続で軒を並べていたりする。
そんな迷路のような空間と人ごみに目を回しながら、迷子にならないようにかみさんについていくのがやっとの状態で彷徨っていると、
いつの間にか、ガラスばりの壁で仕切られた肉屋専用の区画にたどり着いていたのだが…
ここがまた、さらに輪をかけて非日常的な空間で、「損壊された動物の死体」の生々しさを残す塊が大量に並んでいて、
その中には、怨めしさを訴える塊もちらほらと…
まあ、その量に多少は驚かされたものの、この程度であれば日ごろ通っているスーパーでも見かける光景と大差ないので、非日常感はそこまでなかったのだが、
ここらへんになると、なかなかに刺激的で、
ここまでいくともう、B級スプラッター映画の非現実感におそわれ…
ということで、「非日常」を求めてインドネシアを旅行したいという日本の方には、一度足を運んでみることをおすすめします。